"彼だけが持つ異能、誰もが持ち得る狂気"『MAD探偵 7人の容疑者』


 ジョニー・トー作品、今年一本目の劇場公開!


 異能の天才刑事として知られたバン……。彼は、容疑者の行動をそっくり模倣することによってその心理を読み、事件の真相を解き明かす事ができた。だが、ある時、彼は退職する上司の送別の席で自分の耳を切り取って差し出し、辞職へと追い込まれる。それから数年、かつてのバンの業績を知る新人刑事のホーは、未解決となった刑事の行方不明事件を解決すべく、バンの力を借りようとするのだが……。


 シネマート心斎橋にて鑑賞。
 ここ、ちょっと映写機のシャッターの状態がいつも微妙なままなんだよな……と思ってたら、デジタル上映だったのであまり関係なかった……。しかしβカムか? 昨年の『殺人犯』よりも、もう一つ落ちる画質。同じデジタルでも、ブルーレイとβカムでは結構な違いになるし、今後はそこらへんまで明記するような流れになるだろう。今作も、35ミリのフィルムが必須、ということになれば公開されなかったかもしれないし、まだまだデジタル上映は増え、そして高いハードルを要求されるようになると思う。


 ジョニー・トーと言えば最近は『ザ・ミッション』以降のアンソニー・ウォン出演作が話題の中心だが、それ以前の『ファイヤーライン』『ヒーロー・ネバー・ダイ』『暗戦』などのラウ・チンワン主演作も忘れちゃあいけない。もう何年も出演作が日本公開されなかったチンワンだが、ここにきてついにトー監督とのタッグで新作が! まあ2007年の作品だったりするんですけどね……。
 しかし、上記三本も内容的には同じ文脈では語れなかったが、今作もまったく違う作品に仕上がっていた。


 主人公は、容姿とは違う姿を取って現れる、人の心の声を聴く力の持ち主。それと共にその異常な「共感力」とでも言うべき力で、他人の行動をなぞればその行動に至る心の動きの経緯を見る事ができる。
 その力の内実が提示される前段、オープニングにおける彼の捜査手法や行動は、何も知らない他人(この時点での観客)には、狂気的なようにしか見えない。彼の持つ能力の正体と、それゆえに彼が孤独であることが明かされるにつれ、ようやくこちらの見方は共感へと振れる。
 主人公の背負う「異能力者の悲哀」が描かれた後、実に7つの人格を持つ「容疑者」が登場する。異能力者から見ても、「7人」というのは異常だ。だが、その7つもの人格を持つ男の「狂気性」を描く方向にストーリーは振れていくのかと思いきや、ある種、普遍的な誰もが持つ「ペルソナ」へとテーマは移行する。


 主人公の特異な才能を信じ、退職しているにも関わらず捜査を委ねた新人刑事は、その狂気が真相へたどりつくものとはやがて信じられなくなり、ついには文字通りの怯えた少年と化す。
 もう刑事ではない人間を迎え入れたという、警察の縄張り意識の侵害。銃や身分証を取られて使用されたことによるキャリアへの傷。警察内部の関与が疑われる事件の解決、というある意味「義憤」的な行動は、その警察内部の論理を逸脱した捜査手法、ルーキーの暴走と言う形を取ったことで、微妙に犯人の心理へとリンクして行く。新たな人格の発現は、こうしたプロセスと密接につながっている。


 家庭的でヒステリックなほどに心配性な妻の人格を身に抱える主人公だが、実際の妻は離婚していて今も現役の刑事だ。「二人」の妻は、だが別人と言うほどにはかけ離れていない。実在する方は、結婚生活には耐えられなかったが、今もどこか彼のことを気にかけている。心配性の性格で、冷たい態度の裏にヒステリックな怒りを押し殺している。
 主人公には、その裏のヒステリックさばかりが見える。側にいてくれない彼女には、愛情を感じる事ができない。だが一方で、幸せな時代の記憶でしかない別人格の妻が、実在しないことにも気づいている。


 主要な登場人物は、わずか数名だ。しかし、一人の人間には相反した気持ちがあり、行動もまたそれによって分断され、時にそれまで思いもよらなかった行為へと走らせる。その「人格」を本当に別人がいるかのように撮った表現はあまりにも直截的かと最初は思ったが、別の「人格」でありながら同じ「人物」であることを精緻に表現し続けることによって、思った以上の豊穣さを生み出している。「特異」な主人公への共感と、同じく「特異」な容疑者への不安感だったものは、やがてその「特異」さを全ての人間が抱えていることに気づかされた、我々観客それぞれの想いへと着地する。


 幾多の「人格」が一堂に会したクライマックスの銃撃戦は、まるで万華鏡のようだ。それぞれが銃を互いに突きつけ合う。だが、そのように見えて、彼らは本当にお互いの実像に狙いをつけることができているのか? 銃弾が飛び交い、舞台となる倉庫に置いてあった鏡と、そこに映った彼ら自身の虚像を次々に打ち砕く。だが、それは決して実像を傷つけるには至らないのだ。


 ミステリとしてはホワイダニット(彼はなぜこんなことを?)の構造なのだが、それ自体は単純そのものだった。不安定な「人格」と対置する確固たる存在たる「銃」のトリック的な扱いが、雑と言うかほんとにこうなの?と思ってしまうんだが。たぶん香港クオリティ、現地の警察の管理も、きっとこんな感じなのだろう……。しかし、その雑さそのものが、おそらく香港の警察を覆う「なあなあ」の空気感の象徴でもあり、それを裏切ることへのプレッシャーが、部外者である我々が思うよりも大きなものであること。そしてそれらは曖昧な「人格」を抱え、時に狂気に近づきながらも、それを明らかにしないまま……明らかになってしまえば拒絶と排斥が待つ……そうして生きていかなければならない世間そのものをも象徴しているのかもしれない。


 久々に見たラウ・チンワンだったが、元祖ラム・シューに絡む男としても納得の内容だったし、やや痩せて悲哀を感じさせる大熱演。ジョニー・トーとのタッグはやはり最高でした。これは痺れる傑作なので、みんなオススメだ!

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