"僕たちが明日、繰り返すかもしれないこと"『縞模様のパジャマの少年』

縞模様のパジャマの少年 [DVD]

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 う、打ちのめされた……。ジャケ裏の「心を揺さぶる感動作」と、平和そうな写真に騙されたら、とんでもない目に遭うぞ!


 第二次大戦下のドイツ。ナチス将校の父の昇進により、家族で田舎へ引っ越してきた8歳の少年、ブルーノ。屋敷に閉じこもった生活に退屈した彼は、立ち入りを禁じられた裏の納屋の窓から抜け出し、部屋の窓の向こうから見えた「農場」へと出かける。電流の流れるフェンスに囲まれ、縞模様のパジャマを来た人々が暮らすその「農場」の外側で、彼は内側に住む少年、シュムールと出会い、友達になるのだが……。


 大戦下とはいえ、これらは全てドイツという国内で起こったことである。冒頭に映るベルリンの街並は平和で、後の陥落の気配など感じさせない。この映画の中には、戦車も、飛行機も、爆弾も出て来ない。ヒトラー本人も姿を見せない。
 戦争の意味も知らない、8歳の子供の視点から、その「平和な日常」が描き出される。


 ナチス政権下のドイツで、僕たちは何が起きていたかを「知っている」。知識として知っていて、8歳に過ぎない主人公が、大人に投げかける疑問に、代わりに答えることができる。だが、同時に何も知らない。そこで実態として何があったのかは、文献で断片的に知識を身につけたに過ぎない。ある意味で僕たち観客は後の世を知っている「大人」として見ることもできるし、何も知らない少年として追体験することもできる。


 何も知らない主人公の視点は、この時代のドイツの市民の視点でもある。作中で大人である母親も、全てを知っているわけではないし、「歴史教育」を受ける姉も同じだ。害虫と教えられたユダヤ人が、都市を離れどこへ連れて行かれ、そこで何をされたのか、正確に知ってはいない。それらは巧妙に隠され、あるいは映画によって誤った事実を喧伝されている。


 収容所の内側、タイトルの「縞模様のパジャマの少年」でさえ、全てを知っているわけではない。主人公と同じ、ただの8歳の子供に過ぎない彼は、意味も分からないままにここに連れて来られ、理由もわからないままに労働し、何も言えぬままに家族を奪われていく。


 その先を知識として知っている観客である僕たちは、容易くその非道な行為を想像することができる。アウシュビッツ! ショアー


 しかし、デビッド・シューリス演ずるナチスの将校も、この「日常」を生きているに過ぎない。彼らがすべての元凶であり、悪人なのだろうか? 主人公の父である彼もまた、組織の歯車の一つだ。父に教えられた生き方で、国や家族のために良かれと思い行動している。その歯車の間ですり潰される者のことなど考えもしないが、すり潰す側がわざわざされる側に回ることなど、思いもよらないだろう。
 その部下の青年将校は、国に忠実に生きる道を選び、国に背いた父と反する生き方をしている。そして、その父の存在ゆえにナチス内部でも失格の烙印を押され、前線に送られる。彼もある意味、ユダヤ人と同じ扱いを受けたわけだ。自分の意思と関係ないところで、人生を捻じ曲げられる。
 ヴェラ・ファーミガ演ずる軍人の妻である主人公の母親は、これらの欺瞞に気づいたが、何もできない。知ってしまった彼女の選ぶ道は果てしない逃避だ。それは良心の痛みゆえであり、根付かせられてきた嫌悪ゆえでもある。


 僕たちは最初、主人公と同じ何も知らない少年としてこの映画に触れ、続いて彼ら大人と言う、いくつもの未来を目の当たりにする。人形を捨て歴史教育と恋愛にはまる姉は間近な未来であり、その先に、父が、母が、青年将校がいる。
 この先、主人公の少年も、いつかそうなり得る。
 そして、僕たちもまたそうなり得る。いや、あるいはもうなっているのかもしれない。僕らは、絶対に彼らのような未来を選ばない、と言えるだろうか?
 これは戦争と言うある意味「異常」な状況下で起きたことではない。ナチスという「異常」な人間たちが起こしたことでもない。まして、かつてあった遠い昔の話でさえない。
 これはすべて、今もある差別と偏見のもとに、明日にでも繰り返されるかもしれないことである。この映画の登場人物たちのような、普通の人間である僕たちによって。


 タイトルの二重の意味が明らかになるクライマックスで、僕たちは悲鳴を挙げて目を背ける。ああ、だけど、もし少年がそこへ行かなければ……そうなるのが「彼ら」だけであったなら……僕たちは目をつぶり、見過ごしたのではないだろうか? 登場人物がそうしようとしたように。いくばくかの良心の痛みを抱えた「だけ」で。
 だけど、それは間違っている。誰かを蔑むことは、自分を蔑むことだ。誰かの家族を、愛する者を奪うことは、自分のそれを奪うことだ。見捨てることもまた同じだ。
 僕たちと彼らは何も違わない。縞模様のパジャマを着ているかどうか、そんな違いとも呼べない違いしかないのだ。

縞模様のパジャマの少年

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