『ダニー・ザ・ドッグ』

 いやあどうもどうも、このコーナーも久々の更新となりました。いやね、新作が公開されないんだから仕方がないじゃないですか。そう、昨年はとうとう一本の公開作もないまま、この『ダニー・ザ・ドッグ』の小出しになった情報だけを噛み締めていたんですねえ。その間に、かのスマトラ沖地震でジェット一時行方不明なんていう、とんでもないニュースもありました。幸い『HERO』生還となりまして、しかし一つ間違えば、この映画が遺作になっていたのだなあ、と改めて考えれば物凄く怖い事態であったのです。


 さて、今作のジェット・リーは幼少の頃から闘うことだけを教え込まれ、犬として育てられた男。これって、口減らしに体育学校に売り飛ばされ武術だけを教えられた彼の幼少期とかぶって見えるんですが……。その男が、盲目のピアニスト、モーガン・フリーマンとの出会いにより、人間性に目覚めて行く、というお話。とりあえずモーガン・フリーマンが出ているのに仰天。ジェットと並んでると……うーむ、何もかもが異質だ。しかし、話が進むにつれてこれが何とも自然に見えて来る。モーガンの横に立つジェット・リーの小さいことと言ったらどうだ! ボブ・ホスキンスと並ぶとちょうどいいのですが。


 今作のジェットの演技は、まさに新境地。相手が死ぬまで殴り続ける凶暴な狂犬と、飼い主に怯える飼い犬の表情。そして、徐々に失った物を取り戻して行く少年の眼差し……。うーむ、心に滲みます。ジェットにしか出来ない演技……と言うよりは、40歳になってまだこんなキャラクターやれるのはジェットしかいない、と言う方が正確でありましょうか。監督のルイ・レテリエは『トランスポーター』でも、汚いチンピラ役ばかりだったジェイソン・ステイサムをスマートな運び屋に生まれ変わらせています。新境地請負人とでも呼びましょう。


 今作のファイトシーンは、ジェットがカンフーの達人では無く、動物的な我流のファイトスタイルのため、直線的で獣をイメージした動き。華麗さはなく、ただ速さと力で相手を倒す。相手が死ぬまでひたすら狂ったように殴り続けるジェットの姿に、迷作『ファイナルファイター鉄拳英雄』のブチギレ演技も、決して無駄ではなかったんだなあ、と感無量です。


 人殺しを教えてくれた「父」ボブ・ホスキンスと、ピアノと料理を教えてくれた「父」モーガン・フリーマン、この二人の父親像の対比の中で成長して行く主人公ダニー。中盤一切のアクションが消失し、人間模様がひたすら描かれ続けた時には、主役がジェットであることを忘れそうになりました。ここらへんのドラマ性が非常にうまく描かれていて、役者ジェットが初めて役になり切ったのだと感動しました。画面を横切るだけで発生するモーガン・フリーマンの絶大なる安心感と、ボブ・ホスキンスの小人物であるはずのキャラクターが時折放つ巨大な包容力が、さらにドラマを盛り上げます。


 終盤は凄絶アクションも盛り返し、大激闘。ライバル的キャラクターが出て来ないのはちょっと物足りないですが、これは家族のドラマであってジェット先生のオレ様映画ではないので……。幾度も車の事故に合うのに何度でも甦って来るボブ・ホスキンスの執念と歪んだ愛に飲み込まれそうになるジェット=ダニーは、ついに自らを縛めていた首輪に決別! 怒りの鉄拳がホスキンスを粉砕と思いきや……衝撃! なんと、最後においしいところを持って行ってしまったのは、アカデミー賞俳優モーガン・フリーマンだった……。さしものジェット先生も、大スターのオレ様精神にいささか押されてしまったか……。


 えー、時折入るバカ映画らしいギャグともつかぬギャグも含め、映画としてすごく面白かったのですが、ジェット映画を期待すると、いささか釈然としない気分……。特に最後の植木鉢がなあ……あれもギャグなんだなあ……。演技者として新境地、と書きましたが、近年アメリカナイズされた姿や侘び寂び精神の武術家などを見せ、キャラクター的に新境地を見せて来たジェットが、そっち方面ではむしろ後退してしまったように感じられるのも、なんか釈然としない理由なんでありましょう。かつての「きびきびしたハゲ」「人格の未熟な偉人」に、今作のキャラはむしろ近い……。
 とはいえ、なんだかんだ言ってもジェットファンはやはり必見であります。