ぼくはよいこのK-1ファン

 「よいこのK-1ファン」と言えば、K-1心中さんなんかがよく使う言い回し。
 「立ち技最高峰」なんて謳い文句や、参戦してくる「ボクシング世界王者」なんかの肩書きを真に受け、K-1ファイターやその系譜に連なるヨーロッパの未知強なんかを、無邪気にめちゃくちゃ強いと思い込んでいる、K-1以外の格闘技なんてろくに見てやしない人たちのことだ。彼らを揶揄する名称である。

 まあ確かに、上記のような考えに凝り固まり、視野の狭い言説を自分のブログで垂れ流されたら、たまったものではないが、実は僕は嫌いじゃない。

 ……いいじゃないか! 楽しそうで! 

 人気blogランキング参加しています。
 よろしければ御協力下さい。

 古くはホーストがサップにKOされた時……。最近ではバダ・ハリやアーツがアリスターに敗れた時……。同じく無邪気な総合ファンに嘲笑されるような結果に、まるで我がことのように嘆き、青筋立てて反論し、川尻を迎え撃つ魔裟斗や、アリスターへのリベンジに挑むバダに必死に声援を送る……。昔のPオタちゃんもそうだったが、いやいや、自己同一化激し過ぎるっしょ(笑)。よくそんなにのめりこめるね……。別に負けて笑われるのは君じゃないし、最強争ってるのも君じゃないし。

 いや、しかしね……。みんながみんな、僕のように斜に構えていても面白くない。川尻が魔裟斗に挑み、総合ファンが血管切れそうになるぐらいに盛り上がる。いわゆる「外敵」の登場だ。川尻を「ああ、結構打撃も強いしね。K-1に参戦する一選手として、興味深くはあるね」なんて言う意見は、論理的には正しいのかもしれない。しかしそれでは熱狂は起こりえない。「外敵」を「外敵」足らしめるには、他競技の選手を「異物」と捉え排斥しようとする、ある意味「差別的」とさえ言える感情論が不可欠だ。
 川尻に必要以上に感情移入する「よいこのDREAMファン」と、その川尻を蔑視し排斥しようとする「よいこのK-1ファン」の、感情的対立だ。激しい罵倒合戦……バイアスのかかった技術論……。理屈としては「国家」や「民族」なんていう形のないものにすがる「ナショナリズム」に近いよね。日本人同士、外国人同士の対戦であっても、こいつをちょいとくすぐってやれば、狂騒的な熱狂が巻き起こる。
 正直言って、冷静に考えたらそれほど乗れないなあ……と思った「魔裟斗VS川尻」だが、こういう熱狂を見てると結構面白くなってくる。決着がついて、片方に冷や水がぶっかけられる瞬間が楽しみで仕方が無くなってくる。自然、試合を見るのにも熱が入る。やっぱりK-1好きだから、魔裟斗よりだ。僕のような人間を、「あの試合を楽しめなかったかわいそうな奴」と評する向きもあるかもしれないが、とんでもない。楽しんでますよ……? 過剰に盛り上がれる「よいこのK-1ファン」がいるからこそ、横で見てる僕も楽しめるのだ。別に混ざる必要はないけれど(笑)。

 今まであった……今現在起こりうる……どんな盛り上がりも「よいこのK-1ファン」あってこそだ。それは正しい姿勢ではないのかもしれないが、でもK-1を支える一つの層は、間違いなく彼らなのだ。対抗戦の熱も、ブロレス的舌戦も……すべて真に受ける彼らの存在が不可欠だ。

 さて、話は変わって63キロ級だ。
 世界的なスケールなんて望むべくもない、日本人ばかり集まった大会だ。競技としての成熟なんて頭にない、キャラ優先、イケメン重視のトーナメントだ。
 こうなったら、上のやり方で盛り上げるしかない。大会自体の意義がないんだから、せめて目先の盛り上がりだけでも必要じゃないか。
 そう、ぼくはよいこのK-1ファン。K-1のいちいんとして、K−1ファイターをおうえんしたい!

 しかし、まず「外敵」がいない……(笑)。
 手っ取り早い外敵として、K-1の歴史で重宝され続けてきた総合格闘家とボクサーたち。だが、奇抜なキャラで昨年から重宝され、まさにこの役目を担うはずだった渡辺一久はものの見事に負け越し、前戦で総合格闘家にローで半泣きにされ、負傷で一回戦にも登場できないという大失態を演じた。
 その総合格闘家DJ.taikiもまた、ボクサーをローで葬るというまるでK-1ファイターのような闘いぶり。本来、渡辺を破ったら外敵となるべきだった彼も、その試合内容が災いし、盛り上げ役の外敵ではなく、妙にでかくて危険でそれでいて華のない、二回戦に残って欲しくない選手という烙印を押されてしまった。よいこ目線で見ても、敵の敵は味方。渡辺を倒したDJはキックボクサーだ! 彼は外敵ではない。
 ならば、パンチを振り回す総合ファイターに登場してもらいたいところだったろうが、高谷、KIDなどはDREAMの舞台にこだわり参戦せず。

 早くも外敵は不在……いや、そうでもないんじゃないか? 他競技ばかりが敵ではない。K-1生え抜きのファイターに挑む、他団体のキックボクサーという構図を取ってもいいんじゃないか?
 石川直生なんて、その代表格だ。「ぼくたちのK-1」に敬意を払わず、「軽量級のキックボクシング」にこだわりながらもK-1の大会に出て、大晦日参戦をもくろんで名前を売ろうとする調子のいい野郎だ。懐古趣味のキックファンのノスタルジーも、いちいちうっとうしい。そんな奴にK-1の舞台は荒らさせない! K-1ファイターがおまえを倒す!
 松本、大和、裕樹もその口だ。全て他団体を主戦場とした選手じゃないか。石川ほど欲望をあからさまにしないが、やってることは似たり寄ったりだ。許せない!

 しかし迎え撃つK-1ファイターが……え〜っと、誰がいたっけ?
 まずキザえもんが……いや、彼は立場的には充分、その外敵を迎え撃つ位置につけたと思うんだが……ファイヤーをいたぶり尽くし、いきなりのヒールキャラに! 自分が外敵になってどうするんだ(笑)。よいこちゃんは絶対にヒールには乗っかれない。
 では誰だ? 尾崎か? いや、70キロで挫折しまくったテコンドードラゴンには、すでに負のイメージがつきまとう。魔裟斗バダ・ハリに比較するのはおろか、シュルトや佐藤のようにその「強さ」のみに希望を託すにしても、あまりに役不足
 そこで売り出したいのが上松……なんだが……。ジェヒを倒した手並みは見事だったが、よいこはそれでも満足しない! K-1の代表となるには「格」が必要なのだ。「何か持ってる」と谷Pらが必死におだてあげているが、よいこちゃんたちから見ると、上松はせいぜいその「入り口」に立ったに過ぎない。K-1を象徴し、よいこちゃんが希望を託して応援するには、まだまだ強さもカリスマも実績も、全てが足りなさ過ぎる。
 じゃあ久保か? 最近までフリーでブランクも空き、個性を感じさせないキャラクターと合わせ、彼にはイメージなきイメージ、無色というカラーがある。そして、実力的には安定感を感じさせる。闘えば、おそらく上松よりも上ではないか? だが、あまりに無色すぎる……。同じMAX最初のトーナメントで早くもギラギラとした野望を燃え滾らせていた魔裟斗には及ぶべくもない……。だめというわけではないのだが……。

 インパクトのある外敵がいないのもあるが、肝心のK-1側を背負う選手も実はいない。よいこのK-1ファンは、このトーナメントを前に、きっと葛藤している。

 ……誰を応援していいかわからない……上松か……久保か……そこらで揺れ動くしかない……。

 世界標準の戦いもなく、ナショナリズム的対抗戦の色合いもない。じゃあ、この大会はなんなんだ!? どんな意味があるというんだーっ!?
 そう……もう「よいこのK-1ファン」すら、「よされてない」のだ。何かこの大会に疎外感を感じ……70キロの方が楽しみだな、と思ってる人がいるなら……その感覚は何もおかしくはない。「63キロ級」が見ているのは、既存のキックファンやジムを通じて売れるチケット……イケメンに食いつく新規ファン……そういうものだ。階級は変わったが、新しいコンセプトはないし、よいこはもちろん、WGPやMAXが好きな古いファンはむしろお呼びでない。

 あまり窮屈に考えてはいけないのかもしれない。コンセプトがなくても、結果と内容で何かが生まれるかもしれないし、新しいことをやるのも時には必要だろう。
 だが……K-1とは、僕は「文脈」だと思う。曲がりなりにも十数年続いてきた歴史があり、文脈があり、今も残っている既存のファンがいる。なんで僕らファンがこうダラダラとブログを書き続けているのか。全て「文脈」のためだ。十年前の大会があり選手がいて、去年のそれらがあり、だから今年がある。すべてはつながっている。それを知っているからだ。
 それを蔑ろにしてまで、いったい何を生み出すというのだろうか? いや、それを無視して何かが生まれるなんてことが、あり得るのか? それは何もないところから金を生み出すに等しいのではないか。土壌があるから豊かな作物が生まれるのだ。

 このトーナメントが終わった時……そこに立っているのは誰なんだろう? きっと……誰でもいっしょだ。そう、よいこのK-1ファンにとっては。じゃあ、いったい誰にとって意味があるんだろう?


 人気blogランキング参加しています。
 よろしければ御協力下さい。