そんなもの読んでる人はいません

バールのようなもの (文春文庫)

バールのようなもの (文春文庫)

 清水義範パスティーシュ新聞小説をネタにした話があった。色々な文体で時代小説やらポルノやらスポーツものやら文学やらの新聞小説のパロディを書いているのだが、それぞれの中で必ず登場人物がこんな台詞を吐く。


「読んでなんかいないのよ」


「誰も余の顔色を読んでおらぬと見える」


「そんな物読む人はいません」


 新聞に書いてある小説なんて、誰も読んでないんじゃないか? そんなことを考えてしまう小説家の葛藤が作品に出ている、というギャグ。これを高校ぐらいの頃に読んで、なるほど、新聞の小説なんて確かに読まねえなあ、と思ったのだが、後に『失楽園』が流行ったりして驚いた。定期的にエロを載せればみんな読むのか……。電車で堂々と読めるしな。


 しかし新聞小説ってのは、途中から読み始めると、展開がわからないのもさることながら、全体の分量のどの辺りなのか?ということさえもわからない。これが結構重要で、林真理子の『ロストワールド』だったか? 主人公の脚本家がドラマに出た俳優に求婚されるシーンを、ある日たまたま読んだ。たぶん、これから別の男が出て来て、チラと話に出た別れた夫とかも絡んでくるのかな? あとはドラマの視聴率とか……と色々想像したのだが、その数日後に結婚を決意したところでいきなり終わったのである。ああ、もう佳境だったのか……。通し番号なんかは一応書いてあるのだが、それを見たところでわかるのは「途中である」ということだけ。ああ、こないだ読んだとこがクライマックスだったのか……えらくあっさりしてたな……とか思ってしまうのだが、もう少し前から読んでたら印象も違ったのだろう。元ダンナとかはその前にすでに出てたらしい。
 『愛の流刑地』なんかもそのパターンで、ある日何気なく手に取ったらまた濡れ場やってて、「またかよ、いわゆる自己模倣だな」とか思ってたら、主人公がいきなり不倫相手を絞め殺したから驚いた。濡れ場はそこまでで、その後は裁判が延々と続いたりして、もうすでに中盤過ぎてたらしい。


 そのようにいい加減に接する事の多い新聞小説なのだが、小池真理子の「無花果の森」の連載が日経の夕刊で始まったので、これは珍しく最初から読んでいる。映画監督の夫の暴力から逃れてきた主人公が、田舎町に身を潜めているのだが、さてこれからどういう展開になるのか? 小池作品のパターンだと、そろそろイケメンが出て来るはずなのだが……。早いとこ出て来てくれないと、うっかり一日二日、読むのを忘れそうである。

ストロベリー・フィールズ

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